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「こんばんは。私のお人形」
冷たい床に身を横たえる御堂に声をかける。
ぴくり、と身体をよじる。
目隠しされた目は、その姿を見れはしないが声で誰だか分かったようだ。
「あ・・・」
ぱくぱくと、唇が揺れている。
縛められた御堂のモノは、まだそそり立っている。
「・・・して・・・下さい・・・」
ろれつの回らない声で、そう、小さく言ったようだった。
「欲しい・・・」
Mr.Rはつかつかと御堂の元へ歩くと、革靴で軽く御堂のモノを踏みつけた。
「んんっ・・・」
漏れ出るのは甘い声。
「今日も、たっぷり可愛がって貰ったようですね」
足先で絶妙な加減でやわやわと踏みながら声をかけた。
「はい・・・」
「気持ちよかった?」
「はい・・・。気持ち良かった・・・です・・・」
思い出したのか、また口から涎が垂れた。
「貴方は本当に淫乱で、猥らに可愛らしいお人形だ」
「毎日毎日あんなにたくさんの男に陵辱されて、まだ足りないんですね」
御堂は嬉しそうな表情を浮かべている。
「貴方の評判が良くて、私も本当に嬉しいです」
「貴方を調教したかいがあった」
弛緩した身体から、どろりと生暖かい精液が流れ出した。
「あ・・・」
身を震わせて悦ぶ。
「貴方も、本当に幸せそうだ。
ご自分の本当の悦びに目覚められて」
聞こえているのかいないのか、御堂はやんわりと踏むMr.Rの足に夢中のようだ。



「ねえ、御堂さん」




名前を呼ぶ声に、ぴくりと、身体が反応する。
忘れてしまった名前。
もう二度と呼ばれることはないと思っていた名前。
それは、「思い出させる」ためのトリガー。
悦びにあふれていた顔が、少しずつ青ざめていく。
情欲に塗れていたペットの顔が、少しずつ、理知を備えた御堂の顔へと戻っていく。
頭の端に過ぎる、男の顔にまた冷や汗が流れる。

Mr.Rが乱暴に御堂の目隠しを取りはずす。
眩しさに眉間に皺を寄せる御堂の目を琥珀色の瞳で見つめた。

「外に行っていた間にね。面白いものを見たんです。御堂さん」
わざとらしく、名前を呼ぶ。
こわばった表情のまま、御堂が顔を横にふるふるとふった。

「貴方が淫乱な私のお人形になったご褒美に、面白いものを見せてあげましょう」
そう言うと、御堂の目を、じっと覗き込む。
眼鏡の奥の琥珀色が怪しげに光っているような錯覚に囚われて、
御堂は目を離せなくなっていった。







見えたのは、御堂の部屋だった。

ソファに座るのは・・・自分だ。

「ほら。あれは置いていった貴方の抜殻。
本当の貴方はここにいるから、抜殻は話もしないし、何も感じない。
ただ、そこに座って居るだけ。
貴方がここにきてからずっと、抜殻はあそこにああしていたんですよ」

抜殻は、自分が見たことのない服を着ていた。
ぼんやりと空ろな瞳で天井を見上げて座ったまま、ぴくりとも動かない。
その中には何もいないのだと、分かった。
空調の音がかすかに聞こえる。
電気もつけたままのようだ。
しーんと静まり返った部屋に一人で自分が座っていた。
たまに瞬きをするから、それでようやく「生きて」いるのだと分かる。

(こんなものを見せて、どうしようと言うのだろう)

もう、現実などには目をむけたくない。
今更振り返ったところで、もう戻れないところに、自分は来てしまった。
なのに何故、今更こんなものを見なくてはならない。
男の意図を探ろうと、とっさに振り返ろうとするが
何故か身動きが取れない。
後ろから、肩を抱かれた、気がした。
「駄目ですよ。
面白いのは、ここからなんですから」
背後から、声が聞こえる。




かちゃり。
ドアノブがあく音が、遠くに聞こえた。
あれは、玄関のドアノブの音だ。
あの頃、何よりも聴くのが怖かった、あの音。
その音に本能的にぞっとするが、
部屋にいる自分は、それでも身動き一つしない。
気付いてさえ、いないようだ。
少しずつ、歩みを進めていく足音。
部屋のドアの前に、近づいて、止まった。
扉があく。

佐伯克哉が、そこにいた。

目をいっぱいに開いて、御堂は怯えた。
「ああっ・・・あああ・・・ううっ」
当時のトラウマが、忘れたくても忘れられず記憶の奥に封じたその顔が眼前にある。
御堂はがたがたと震えた。
また目の前で、「あれ」が繰り広げられるのかと。
終わるとも知れないあの責苦は、まだ続いていたのかと。
あまりの恐怖に心臓が高鳴る。
吐き気も湧いてきた。
たまらずえずいて、涙が目の端に溢れる。
それでも頭の端に現れる想い、
気付いてはならないその感情までが湧いてきて、
御堂は混乱した。
(違う違う違う違う違う・・・)







「今戻りました。ひさしぶりに飲みましょうか」
混乱して、眼前にあるものをはっきりと認識していなかった御堂が、その声に顔をあげる。
その声は、記憶の中にあるものより、存外に優しく聞こえた。
目を見開いて、その顔をまじまじとみる。
そこにあるのは、あの悪魔のような悪意に満ちた微笑ではなく、
ただただ端正な、誠実な顔。
少し、苦しいような表情。
話しかけても、空ろな抜殻は反応をしない。
佐伯の手にあるのは、高級スーパーのものと思しき紙袋とカバン。
仕事帰りなのか、スーツを着ていた。

「ワイン好きだったでしょう? いいワイン買ってきたんです」
少し、あきらめのような微笑を浮かべて、
買ってきたワインとチーズの入った紙袋を手に、克哉は部屋の奥のキッチンへと進んでいく。
「すぐに用意します」
そういって、視界から消えていこうとする。

その姿は、
今まで見たことのない、佐伯の姿。



背後の男が、耳元で囁く。
「あのお方は、貴方がここでこうして猥らに善がり狂っている間、
ずっと、あの抜殻の世話をしていました。
本当は、貴方のことが、好きだったんだそうですよ。
高慢で、気高い貴方のことが。

貴方が壊れてしまって、はじめて、貴方の想いに気付いたんだそうです。
貴方を壊してしまったのは自分だと、
そう思い込んで、後悔して、
ずーっと、貴方の抜殻のそばにいるんです」


御堂の目が、驚愕に見開かれる。



(私を、好き?)



(後悔して、
ずっと、ずっと傍に、いた?)



(ずっと、ずっと?)



「ずっと、そこにいたのか・・・・・・・?」




御堂は、呆然として、呟いた。
佐伯が、まるで聞こえたかのように、ゆっくりと振り返る。



「でも、駄目ですよ。
貴方はもう、あそこには戻れない。

貴方は、あそこから逃げることを選んだ。
佐伯さんのことを考えるのが、お辛かったんでしょう?
自分のお気持ちに気付くのが、怖かったんでしょう?
だから、あの方を捨てて、
あそこから逃げ出して、
この快楽の部屋の中に逃げ込むことを選んだんです。
猥らに、誰彼構わず犯されては涎をたらして腰を振って。
そうやってあの方から、あなた自身の想いから逃げた。


選んだのは、貴方だ。


もう、
今更あの方の元へなど、戻れませんよ。
私の穢れた淫乱な、お人形」





そういうと、視界から、佐伯が消えた。
目の前に広がるのは、赤い、赤いビロード。
消えてしまった

本当の、想い。



御堂の目に、静かに涙が流れ出す。




「佐伯・・・」





みるみるうちに、涙が零れていく。
自分の心まで、流してしまうかのように。



「佐伯、佐伯、佐伯、佐伯、佐伯っ・・・!」
悲痛な声。
ビロードのカーテンを握り締めて、縋りついた。
「佐伯、佐伯、佐伯、佐伯、佐伯、佐伯、さえき、さえき・・・」
喉が枯れるほどに叫び散らす。
目は虚ろで、もうそこにある何もかもを見てはいない。
いつまでも涙だけが溢れ続ける。

浮かぶのは、自分を恐怖させたあの日のモノではなく、今見たあの苦しいような表情。

(後悔・・・して・・・)
(ずっと・・・)

(私を、好きだと・・・)




(けれど、貴方は逃げ出した)
(もう、戻れない)
被さるように繰り返す、Mr.Rの声。





心が、ぐしゃりと音を立てて潰れる。





「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」





取り返しのつかない想いの丈を吐き出してしまうように、
御堂の絶叫が、何もない赤い部屋に響き渡る。
もう、二度とは叶えられない想いを、叫ぶように。
絶望の音が、鳴り響く。


だがその音は、

佐伯克哉までは、届かない。





Mr.Rが、静かに微笑んだ。

(そう、そうやって壊れてしまうといい。

その時こそ貴方が、
ここに永遠に囚われる時)



満足げな笑みを浮かべて
Mr.Rが踵を返し、部屋を出て行く。
部屋に残されたのは、
ただただ叫び散らす、甘い、甘い絶望。













そこは、CLUB.R。
誰もが心に秘めた淫蕩な夢に溺れる、闇の城。
今日もまた、男達が御堂を囲む。
虚ろな瞳の獲物は、幸せそうな笑みを浮かべる。

(佐伯・・・)
(また、そんなに乱暴に抱いて・・・)

見知らぬ男のモノに貫かれながら、
御堂は声にならない声で、虚空に向かって話しかける。
(でも、
本当は、嫌じゃない)

別の男のモノをしゃぶりながら、飢えた表情で愛おしそうに、男の顔を見上げた。

(佐伯、お前も気持ちいいか?)



(ああ、気持ちいい)

頭の奥で聞こえるはずのない声が鳴る。
それは、優しく優しく御堂を包む。
急激に達しそうになる意識の中、御堂は善がり声を上げて悶えていた。
(気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい)
貪るように尻をひくつかせて、その時を、待つ。

目もくらむ酩酊の瞬間。




(佐伯、

本当は私もお前のことが・・・)





永久に引き返すことのできぬ牢獄の中。
繰り返し、繰り返し。
哀れな獲物は、幸せな夢を見る。











蛇足編へ行く?

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