回想4







(もっとはやく、あんたのことが好きだって、気づけばよかった)



すべてを放棄したはずの自分の心に、
その言葉が、入り込んできた。

頭は考えることを放棄していて、その言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
ようやく噛み締めて、
・・・佐伯!
そう、声に出そうとしたけれど、思うようにいかず、
ようやく身体が動いた時、
無常にも、扉が閉まる音が聞こえた。
「さえきっ!」
うまく動かない、身体を無理やり引きずって、扉へと走る。
もうずっと歩いていなかった足がもつれて、倒れこんだ。
ばしっ、大きな音を立てて床に転がり込む。
「・・・佐伯・・・」
それでも無理やり立ち上がって扉をあけようとし、
そうしてノブを押そうとして、そこで手が止まった。


(あけてどうしようって言うんだ)



ようやく、欲しかった言葉が聴けた。
佐伯が求めていたもの。
ようやくその答えが聞けた。
ずっと、ずっと知りたかった本心。
今までの自分、今までの佐伯、すべてを粉々に壊すくらいの強さで、
その言葉が飢えきった心に響いた。

(あんたのことが、欲しかっただけなんだ)
(あなたの心が、欲しかった)



・・・お前も、
私を求めていた、のか。



知りたかった答え。
それさえ分かれば、自分は歩みだせるんだと思っていた。
すべてがはじまると思った。
その答えが聴きたくて聴きたくて、聴けない苦しさに判らない絶望にずっと苛まれていた。
ようやく聴けた。
ようやく、本当に欲しかったたった一つの答えを聴けた

・・・のに。





なのに、お前は私を置いていくのか。
こんな、私を捨てて。



涙が、どんどんと溢れてくる。
・・・やっぱりこうなった。
お前がやめてしまえば簡単に終わるゲーム。
分かっていた。
だからずっと苦しかった。
自分の意思など、はじめから何一つ叶わない。
勝手に押さえつけられて、勝手に思われて、
勝手に、そうやって好きだなんて告白をして、
そのくせ、終わりにする、だなんて。
勝手に決めて、そうやって去っていくなんて。
ノブを押さえていた手が、だらりと下がり、御堂はドアにもたれて、ずるずると座り込んだ。
やはり失ってしまった。
思った通りだ。
何もない。
ああ、何もなくなってしまった。
惨めな姿なんか見せたから。
分かっていた。
分かっていた、のに。




(こんなあんたの姿が見たかったわけじゃない)



ああ、知っていたよ。
お前がこうなることを求めていないことくらい。
本当は、
もっともっと抵抗しなくてはならなかったんだろう?
心を閉じ込めてしまうなんてことを、してはいけなかったんだろう?
お前が求めていた私は、
お前に痛められ過ぎて、ついに壊れてしまった。
お前が、壊したくせに
こんなあんたの姿が見たかったわけじゃない、なんて、
・・・酷いことをいうな。
飽きて捨てられることも、
本当はもうとっくの昔に分かっていたよ。
何もかも分かっていたんだ。
分かっていたから、苦しかった。
お前の心、自分の心、何一つ分からなくて、
なのに、いつかお前がこうやって私を手放すことだけは、分かっていたよ。
だからせめて、
お前の心が解れば、
楽になれると思ったのに。

なのにどうして一番欲しかった言葉を置いて、
君は去っていくんだろう。



部屋には、責め立てられた道具が、あちこちに散らばっている。
暗闇の中、自分が拘束されていた壁だけが月の光に照らされていた。
涙が止まらない。
体中に残る鞭のあと。
今の今まで咥えさせられていたバイブが、自分の体液にぬめって、月明かりに光っている。
今も、後ろを振り返れば佐伯がその扉の向こうに居そうなのに。
玄関の脇に置かれたカードキーが、二度と扉を開ける人間は来ないのだと、冷たく告げている。



(あなたの心が、欲しかった)



じゃあ、どうして置いていくんだ。
卑怯者。
最初から最後まで人の意思などお構いなしに自分のしたいようにだけして。
私がお前の欲しかった私でなくなった途端にこうやって私のことを捨てて。
私の持っていたものを全て粉々に踏みつけて、
そうして、こんなに痕だけを残して、



もう、帰ってはこないんだな。



涙が流れるままに、手で拭うこともせず、
ずっとぼおっと部屋を見ていた。
憎しみが、悲しみが、嘆きが心を荒れ狂う中、

ふと、
髪を撫でられたその手のぬくもりが思い起こされて、
たまらなくなって顔を覆って、肩を震わせて、泣いた。










MGNに行けば、佐伯克哉がいることは分かっていた。
けれど、たとえ自分が姿を現したところで、自分に言える言葉などないと判っていた。

・・・忘れるんだ。
何もかもを。
もう、終わったことなのだから。
終わらされてしまったこと、だから。



そう思い、すべてを捨てた。
マンションも、佐伯を思い起こしそうなものも、何もかもすべて。
新しい仕事もはじめ、住む家も変え、
忙しさに忙殺されることで、何もかも忘れようとした。
お前が求めた自分。
誇り高い自分。
そんな自分にいまさら戻れるかどうか分からないが、
それでも、全てを失った自分が目指すところは、そこだと思った。
失っても奪われてもそれでもなお獲得する、また高みに立つ。
それだけが自分の目標となった。
日々、必死にそれだけを目指して駆けた。



「御堂くん。こんなプロジェクトがあるんだが、
もし差支えがなければ、ぜひ君に先導してもらいたいと思っている」
配布資料を片手に、L&B者の社長が、御堂の部屋へと訪れた。
「いくつかの会社が名乗りを上げているから、コンペはかなり大変なことになると思う。
だからこそ、MGNをよく知り尽くしている君に頼みたい。
どうだろう?前居た会社にかかわるのはやはり嫌だろうか。
そうでなければ、是非君に指揮をとってもらいたい。
もちろん、それなりのポジションは用意してある。
どうだろう。悪い話ではないと思うが」
そう言って、資料を渡された。
配布資料の表紙にあるのは、『担当者 佐伯克哉』の文字。
「・・・」
資料を手に取ったまま、硬直してしまった。 どうしようもなく目に浮かぶのは何故だろう、最後の瞬間の佐伯の顔。
「・・・っ」
思わず、眉をしかめた。
「やはり、難しいか?」
その表情から、御堂の中にまだしこりが残っていると思ったのだろうか?
社長はあまり無茶を言う気はないのか、資料を渡せ、と手を出してきた。
「・・・やらせて頂きます」
その手に気づかなかったふりをして、資料を手に持ったまま、御堂は答えた。

(きっと、このコンペには勝つ。
誰よりもあの会社のことを分かっているのは私だ。
完璧な資料を提示して、MGNに・・・佐伯に認めさせてやろうじゃないか
あいつはまだ私があの部屋にうずくまったままとでも思っているかもしれないが、
いつまでも過去に縛られていないことを証明してやる)







コンペに勝ったという知らせを、社長から聞いた。
「商品企画開発部の部長、佐伯君といったかな。
まだ26の若者だそうだが、他社からの引き抜きで入ってすでに部長だということだ。
すごいな。
その彼が我が社を押してくれたそうで、我が社に決定した。
君の資料のおかげだ。有難う御堂くん」
そういって、握手を求められた。
「せっかくだから是非先方に君を紹介したいのだが、どうかね。
まだ入社して一年もたっていないといっていたから、君も知らないだろう。
MGNに、御堂ここにあり、というところを見せ付けてやるといい。
私としても君のような優秀な社員を獲得できたことを本当に誇りに思っているからな」



佐伯が、
私の資料を押した?
その言葉が頭を巡る。
その真意を測りかねて。



(償いのつもりか?)



判らない、その答えを求めるように
御堂は、出席する旨を社長に伝えた。

(今更どんな顔をして、私はあいつに会う気なんだ)

もう、忘れる。
そう言いながら、何故また会うような真似をするのだろう。
ただでさえ、忘れられなくて、きつくてきつくてしょうがないのに。



それでもあれから一年。



あいつは自分が目の前に現れたら、どんな顔をするだろう。
お前に少しでも・・・が残っているならば。
それならば・・・。









『はじめまして』



その言葉に、
また心がひび割れた。

ほらみろ。
また馬鹿な期待をして。
佐伯がまだ自分のことを思ってくれているかもしれない、
なんて、そんな馬鹿げた思いを抱くから、
現実に絶望に突き落とされる。
一年。
自分に取っては、忘れられない一年でも、
佐伯にとっては、忘れてしまうには充分な一年だった、ということだ。
所詮あの男にとっては、自分はそれだけの存在でしかない。
「好き」だなんて、一時の浮ついた恋情でしかなかったと言うことだ。
傍から離れてしまえばすぐに消え去ってしまうほどの、惑いでしか。

判っていたくせに。
結局一年もの間、自分は一人相撲をしていた訳か。

がむしゃらに働いて働いて、
佐伯のことを忘れようとして、
新しい日々をはじめようとして・・・



でも違う。
判ってしまった。
あいつの顔を見た途端。



どうしようもなく、好きだと。
忘れたくないのだと。





がむしゃらに働いて、前の地位に近いポジションまで上り詰めて
傷もなにもないふりをして、
そうしてまたお前の前に立てば、
あの告白の続きを聞けるんじゃないかと愚かに期待した。

そのためだけに、一年も。
忘れるなんていって、
忘れるどころか、お前が欲しくて欲しくてしょうがなかった。
お前にまたその熱い目で見て欲しくて。
お前が・・・欲しくて。





(何故今になって気づかされなきゃいけない)

『はじめまして』

何事もなかったような顔をする顔に、胸が抉られる。
(もう・・・忘れろ)
そんなことを言って、すべてを忘れたのはお前のほうじゃないか。
私に、あんな言葉を残して、
忘れられなくしたくせに。
なのにお前は何もかもを忘れて、
人の地位の上でのうのうと仕事をしているのか。



一年も、自分は何をやって・・・。



佐伯・・・っ。



「御堂くん、これからどうする?
契約にこぎつけた祝杯でもあげに・・・」
そう誘いをかける社長の言葉を手短に振り切て、御堂は荷物を慌しく纏めると、
「すいません。急用が出来ましたのでお先に失礼します」
形だけの礼をして、走り出した。
コートを、ふわりと羽織る。
前ボタンを留めるのももどかしく、マフラーをとりあえず首に巻きつけて走った。




今度こそ、
お前の答えを聞くために。













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