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「罠・・・」
御堂が小声でつぶやいた。

「はじめは、高慢なあんたを罠にはめて落とすその企みにぞくぞくしたよ。
あんたが俺の下で喘ぐたび、
あんたを思うとおりにしている喜びに興奮した」
過去を思い出しながら、言いたくなかった台詞を口にしていく。
胸を、苦い痛みがはしる。
砂を噛むように、舌がざらつく
。 けれど御堂の目が、真実だけを欲しているのが分かるから、
揶揄で逃げるようなことはせず、克哉は本当のことを口にした。

「口では嫌がっていても、身体はすぐに快楽に従順になっていたからな。
あんたを落とすなんて簡単だと思った。
もう少しでお前が手に入る、もう少しだ・・・。
そう思いながらあんたを犯した。
けれど、いつからかあんたがいつまでも屈しないことにどうしようもない苛立ちと焦りを覚えて・・・。
その苛立ちのままにあんたを散々なぶった。
あんたを俺のところまで堕としたい、と思いながら、
あんたが見せる弱みも、
それでいて従わない強さにも、
どちらにもイライラした。
もう限界かもしれない、そう思いながらも
あんたが俺だけを見て、俺だけに反応する姿を見ていたら止められなかった。
あんたが欲しくて欲しくて、自分だけのものにしたくて。

・・・酷いことを、した」

手のひらを見つめる。
自分が犯した、いくつもの罪が、
両手に重くのしかかる。
穢れは手のひらにべったりとヘドロのように纏わりついて、
落とせそうにない。
今も、目を閉じれば浮かぶ、悲惨だった御堂の姿が目に入る。
欲望のままに、人の心を一つ壊しておいて、
そうしてそれでもなお傍に居ようなどと・・・。

「あんなことまでしておいて、あんたの傍にいようなんて、
おこがましいな」

自嘲する呟きが御堂の耳に入る。

「佐伯っ」
焦るような御堂の声。

そう。
本当は分かっていた。
自分には傍にいる資格などないのだということくらい。
御堂を変えてしまったのも、
心に消せない大きな疵を負わせてしまったのも、
仕事も立場も名声も何もかも取り上げてしまったのも、
すべて自分の醜い欲望に端を発している。
今もなお、夜、御堂がうなされる声に目が覚める。
消せる過去なんて何もない。
分かっているのに、
御堂がそれをどこまでも赦すから、
その思いに甘えてここまで来てしまった。
自分のしたことから目を逸らして・・・。

御堂を、遠い遠い目で見た。
焦ったような顔をしている。
「あんたが・・・好きだった」
「どうしようもなく、好きだったよ」
それでも。
こんなにどうしようもない男でも。
求めては駄目だと何度も何度も言い聞かせても、
それでもなお
「あんたが欲しかった・・・」
それだけが自分の願い、だった。




「佐伯。なんで過去形で言うんだ。
やめろ、やめてくれ。嫌だ!」
突然御堂が錯乱したようにそう叫ぶ声で我に返った。
驚いて御堂の手を掴む。
ひどく、冷たい手。
「やめてくれ・・・。そんな遠い目で私を見るのは」
見れば涙が滲んでいる。冷や汗もかいているようだ。
「どうしたんだ御堂」
「嫌だ・・・」
克哉の身体の中で、震えながら御堂が下をうつむいて、じっと何かに耐えているようだ。
怯える姿は、まるで夜うなされている御堂のものに似ていて。
克哉は思わず御堂をかき抱いた。
震える身体が、少しずつ少しずつぬくもりを取り戻していく。
震えが止まるまで、じっと待っていた。
やがて。

「本当は、君に監禁される前には、多分もう君のことが忘れられなくなっていたんだ」
俯いたまま、御堂が話しはじめた。
「いつだったか。君が倒れた私を運んでくれたことが、あっただろう。
あの日、君の強さが、羨ましいと思った。
私は惨めで、
今まで築いたと思っていたものなどすべて砂上の楼閣のように思えて・・・。
私にはもう、君しか残されてないと思った。
君が執着することを止めたら、
私は本当に何もかも失うんだと・・・。

惨めな私に、君は強い私にしか興味がない、とそういっただろう?
私はずっと、その言葉に囚われていた。
君に落ちてしまえば楽になる・・・そう思うのに
あのお前の言葉が枷になって、
いつまでも強情を張った」
あの頃の御堂の行動の意味を、御堂の口が語る。
それは、自分が思っていた姿とはまったく違うもので。
喉が、渇く。

「君が、怖かったのも事実だ。
あんな風に監禁されて、毎日責められて、いたぶられて、
怖くないはずがない。
けれど、
君の心が見えないことが、もっと、もっと怖かった。
高慢な私にしか興味がないといいながら、
抵抗を続ける私に心底苛立った顔をして・・・。
どうしたらいいのか分からなくて、
どうしたらこの責め苦が終わるのか分からなくて、
でも、終わってしまえばお前は私の元から去っていくんだと思って、
どう転んでも、何をしても、すべてを失う布石に思えて、
怖かった・・・」
また、思い出したように御堂の身体が震える。
ほとんど身長差のないはずの身体が、ひどく細く、はかなく見えた。

「ずっと君の言葉が欲しかった。
ずっと君の心が知りたかった。
ずっと、ずっと、ずっと願っていた。
君の心が知りたいって。
それだけをあの闇の中、ただひたすらに願っていた。
それさえ分かれば、この絶望的な終わりだけが見えている状況から
何かが変わると思った。
君の本心だけが、欲しくて欲しくてたまらなかった」

ようやく、御堂が顔をあげた。
至近距離で見詰め合う。

「だから、あの時君が言った言葉・・・
あの言葉に、すべてが集約した。
私の苦しみは、すべて君の心が分からないことから生まれていた。
だから、あの日君の言葉をきいて、
・・・すべてが癒された気がした」
切ない表情をして、御堂が見つめてくる。
唇を奪ってしまいたい衝動を、無理やり捻じ込む。
もっと、御堂の言葉を聞きたくて。

「君が、私をただ求めていたんだと知って、
好きだと思っていてくれたと知って、
本当に本当に嬉しかったんだ。
すべての悲しみも恐怖も消えるほどに嬉しくて・・・。

・・・なのに君は、去っていった」

きっと睨み付けると、強い声で糾弾した。
「あのあと、去っていかれて、私がどんなに苦しんだか、
君は未だに分かっていない。
好きだなんて言われて・・・。
ようやく願いがかなったのに、その瞬間にすべてを失うなんて・・・。
君に去っていかれて、
私は本当にすべてを失った。
何も、何もかもだ。佐伯。
君を思うことも、君に思われることも、すべてを取り上げられた。
酷いと思わないか佐伯。
あんなに求めていたのに、
叶った瞬間にすべて失う・・・なんて・・・」
日々を思い出したのか、また御堂の目に涙が伝う。

「それも、ここで再会して、
君が最後に好きだといってくれて、
すべてが救われたんだと思った。
あの、自分の一年もの間の足掻きも、無駄ではなかったと知って。
君の傍にまた居てもいいのだと思って、嬉しかった。

なのに君は
いつまでも過去に囚われて、
苦しそうな顔をする。

私はもう、あの時の君の言葉に、二度も救われているんだ。
何も気にすることはない。
私はただ、君の言葉が欲しかっただけだ。
欲しくて、欲しくて、手に入らなかったから苦しかった。
ただ、それだけだ。
本当は、とっくの昔に救われている。



嫌なんだ、君のそんな表情を見るのは。
後悔してる表情で、
過去ばかり見ているのが分かるから。




また、あの時みたいに、
勝手に思いだけ告げられて、
私のことを思いやっているふりをして、
・・・去っていくんじゃないかって思って、


怖いんだ」



止まらない涙もそのままに、目を見つめて、御堂がそう、訴えた。

「過去のことなんてどうでもいい。
私は君が思うほど弱くない。
だから、過去のことばかり見つめて、今の私から、目を逸らさないでくれ。

私が望んでいるのはそんなことなんかじゃない。
私はただ、今、ここにいる君が欲しい。
今の君の言葉が、心が欲しい。
ただ、それだけだ、から・・・」


「御堂・・・」


ようやく、
自分がどれほどまでに御堂を怯えさせていたか、分かった。
癒えていないトラウマは、御堂を夜毎苛ませる悪夢は、
監禁期間のものよりも、
空白の一年間。
置いていったその日々に、刻まれていたのだと。
自分が後悔する表情を見せるたび、
また置いていかれるのでは、と、うなされていたのだと。



「御堂・・・。すまなかった・・・」



そういうと、強く、強く御堂を抱きしめた。
「もう、そんな思いはさせない、から・・・」

心から、本心を告げる。
御堂が欲しがっているのはそれだけだと、分かっているから。
再会の場所で、また、溺れるようなキスを。
もっと切実で、
もっと甘く、
もっと深く、
もっと、何もかもを絡め取るような、ディープなキスを。

もっと、もっと強い誓いを込めた、

エンゲージ。









END







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