「シンデレラ」
「なぁ、佐伯。シンデレラの話を知っているか?」
とある冬の日。
御堂と克哉が再会してから、約一年が経った。
冬の街はクリスマスカラー一色に埋め尽くされている。
今日は珍しく御堂と克哉二人揃って某企業へと年末の挨拶に向かった帰りだ。
コートに身を包んではいるが、底冷えするようなこの冬一番の寒さに、身体が強張っている。
「は? あんたは俺を馬鹿にしてるんですか。それくらい、知っていますよ」
突然の問いかけに克哉が眉を顰めながら御堂に答える。
先ほどまで温かいビルの中にいたから、二人の吐く息は白い。
「何故シンデレラは12時の鐘が鳴ったくらいで、王子の元から逃げ出したんだろうな?」
御堂の疑問の意味を掴みかねて、克哉が御堂の顔を覗き込む。思ったよりも真剣な表情をして考え込んでいる。
「ドレスを着ていない自分に自信がなかったんじゃないのか? 12時の鐘が鳴るまでに、王子様のベッドにもぐりこんでしまえばよかったのにな」
克哉がにやりと笑いながら、御堂をからかうようなことを言う。
「馬鹿。……そういう話がしたいんじゃない」
少し照れたような顔をする御堂に気分が良くなり、克哉は言葉を重ねる。
「思ったより仕事が遅くなったからな。御堂さんも12時の鐘が鳴る前に、俺のベッドにもぐりこんできて下さいね」
耳元で囁いてやったら、真っ赤な顔の恋人に睨まれた。
「君はいつも、そうやって……」
そう言って御堂が黙り込む。まだ、シンデレラについて思いをはせているらしい。
「なんでそんなにシンデレラの話がしたいんだ」
そう問いかけても御堂は答えを返さない。立ち並ぶショップからは、クリスマスソングが聞こえてくる。まだ、クリスマスに関係あるような話をはじめるなら分かるが、何故今シンデレラなのか。御堂が何を考えているのか、よくわからない。
「別に、逃げる必要なんてなかったのに、そう思わないか」
「そう、だな」
「しかも、ガラスの靴たった一つを置いて。まだ、何一つ置いていかなかったならば、王子もあきらめがついただろうに」
まるでひとり言のようにシンデレラへの文句を呟いている御堂の意図を測りかねているうちに、二人はいつのまにかかなりの距離を歩いていた。
御堂が、突然足を止める。
そんな御堂の様子に気づいて克哉も歩みを止めた。
「ここは……」
克哉が、ようやく気付く。
何の変哲もない道は、二人が一年前に再会したその場所だった。
克哉は正確な場所までろくに覚えていなかったが、御堂にとってはここも仕事で通いなれた道だ。きっと、随分前から自分達がこの道へと歩いてきていることに気がついたのだろう。
「御堂さん、再会の場所ですね」
そう言って、人目もはばからずに御堂の手を握りしめる。随分歩いてきたからか、その手は冷たくなっていた。
「あんたが、走ってきたんだ。ここで」
その時のことを思い出す。あれは、有るはずのない、奇跡だったと克哉は今でも思う。もう二度と会えない、会うべきではないと思ったはずの人間が、自分を探してここまで走ってきたのだ。あんな告白までつけて。
「まるで、王子様ですね」
御堂がやけに執着したシンデレラになぞらえてそう言う。言いながら、克哉もまた変な符号の一致に気が付いていた。
(魔女の力で変身して王子様の元にたどり着いておいて、12時の鐘の音で逃げ出した、か)
Mr.Rのことまでは知らないのだろう御堂が、何故今ここでシンデレラの話を持ち出してきたのかが分かって、克哉は苦笑した。
「御堂さん、もしかして俺に嫌みがいいたいんですか?」
ガラスの靴だけを置いて逃げ出したシンデレラに、王子は、本当は文句の一つでも言ってやりたかったのだろうか。
「ガラスの靴どころか、元々人のモノなカードキーと、最低な玩具だけを残して去った男もいるからな。世の中には」
御堂がそう言って克哉を睨みつける。だが、その口元はけして怒りきれてはいない。
御堂の意図をくみ取った克哉への愛情が、うっすらと透けて見えている。
「王子は大変だったと思うぞ。ガラスの靴なんていう怪しげなものだけを頼りに、街中の人の中からたったひとりの人間を探すのは」
「そうだな。玩具じゃあ、わざわざ一人一人に使わせてみるわけにもいかないしな」
「なっ。……あんなものは、すぐに捨てた。そういうことがいいたいんじゃない!」
また顔を赤くして怒る。今度は多少本気で怒られている気もしなくもない。
路上で手をつないだまま言い合いをしている自分達がおかしくて、克哉はふっと笑った。
「どうしてだ。佐伯。何故シンデレラはあの日逃げた?」
御堂が、まっすぐな瞳でそう問いかける。
自分を好きだと言いながら、何故執着することもせずに自分を捨ててあの部屋を出た?
他にも、選択肢があったのではないか?
瞳はそう問いかけている。
一年もの間、御堂が苦しんだであろうことは想像に難くない。
自分を犯し陵辱した男を嫌いになりきれずに苦しんだその胸のうちを御堂は再会の日以来一度も語らないけれど、はじめて御堂の部屋に行った時、何もかも様変わりしていたあの部屋の様子に、克哉はその一端を知った。
望まれてもないのにおかしな眼鏡を使ってまで御堂の元へ行って。散々に犯して。監禁して。そうして、逃げ出した男の答えを御堂は欲しがっている。
「あんたに都合のいい答えなんて、何もないですよ。シンデレラはただ、怖くなったんでしょう。自分のしてしまったことにも、魔法を使って身を飾っていない自分を拒絶されることにも、怖くなったんだ。」
「怖く、なった?」
「王子様が、自分なんかのことを好きになるわけがないと、思っていましたよ」
最後だけは、自分の言葉で。
愚かだった自分のことを話す。
あの日も、酷く寒い日だった。
あの日の自分に最善の選択など存在しなかったが。
御堂の傍にいないことが、最良なのだと思っていた。
(傍にいないことが、一番あんたを苦しませないと、思っていたんだ)
「馬鹿だな。シンデレラは」
御堂が、笑った。
「王子はきっと、シンデレラの服装なんかを見染めた訳ではないのにな」
それから御堂が、じっと克哉のことを見つめる。一年前と同じように、二人はあの場所で見つめ合う。
「君にたどり着けて、本当に良かった」
御堂が、小さくそう呟く。
一年前。御堂が走ってこなければ、今の自分達はここにこうしていることはなかった。会社を興すことも。二人で暮らすようになることも。幼い頃の憂鬱なトラウマを乗り越えることも。自分以外の人間のために、今の自分であろうと誓うことも。
「あんたが、走ってきてくれて、本当に良かった」
言いながら、二人の唇がゆっくりと重なる。
あの頃のように性急ではないが、より深みを持って。一年間の感謝と愛情をありったけにこめて。
静かだが、長い口づけの間、二人の手は重なり続けていた。
冷たかった掌が、二人の体温を分け合って、熱くなってゆく。
「んっ。……ふぅ」
息が苦しくなって、二人の唇がようやく離れる。
「御堂さんは本当に積極的ですね。二年連続で、こんな場所で男とキスするなんて」
意地悪く言ってやると、御堂もまたにやりと不敵に笑う。
「シンデレラのように臆病な恋人を持っているからな。これくらい大胆でないと君は伝わらないんだろう?」
言ってくれる。と思いながら、克哉は声をあげて笑った。
この人がこんな風に強いから、自分達はいつも傍にいられる。自分を自分でいていいのだと、認めてやることができる。過去にあったことも、今自分がしていることも、すべて受け入れてくれるこの強さがあるから、克哉は何があっても、揺るがずにいられる。
遠くから、スーツ姿のサラリーマンが歩いてくるのが見えて、御堂はあわてて克哉から手を離す。そのあせった表情に、さらに湧いてくる笑いを噛み殺しながら、克哉は御堂の顔を覗き込んだ。
「御堂さん。じゃあ、王子様は何で、そんな臆病モノを探し求めたりしたんでしょうね?」
今はすでに知っている、その答えをもう一度引き出そうとして、克哉がまた御堂に問いかけをする。
御堂はしばし考えて、それから克哉にこう言った。
「君が、ガラスの靴なんか、置いて行くからだ」
「……ガラスの靴?」
「好きだって。……君がそう、言っただろう?」
うらみがましい目でそう言う御堂を、克哉は愛おしく思いながら見つめる。
「さぁ王子様。12時の鐘が鳴る前に、おうちに帰りましょう?」
背中に手を回しながらそう言うと、御堂は腕の中で身じろぎをして、耳まで赤くなった。