熱帯夜

 

 

 

真夏夜。

 

 

 

「あつい」

 佐伯克哉の唇からそういう趣旨の言葉が漏れたのは、すでに八回目。

「そんなに暑いなら、さっさと奥の部屋に、……っん。行け、ばいい……」

 御堂孝典の唇から、吐息混じりにもっともな主張がされるのはこれがはじめて。

 

 

 

 Friday night.

 今日は新規企業への挨拶回りに二人して出かけた。普段なら車を出すところだったが、御堂の車は車検に出していたため、珍しく地下鉄を利用して八駅先にある企業まで足を運んだ。

 挨拶代わりのミーティングが終わった後、近くの料亭で接待を受けて、多少の酒も入れつつ重役に礼を告げて二人でタクシーに乗り込んだのが夜二十三時。

 今日は所謂真夏日で、昼間から続くうだるような暑さは夜になってもあまり変わらなかった。会社の中も、料亭も、タクシーの中も等しくクーラーが効いていてそれなりに快適に冷やされていたが、快適さをいいことにタクシーの中でほんのわずかな悪戯をしかけてくる手を拒みきれずに血流を良くしたのがいけなかった。

 セックスがしたい。という欲求は二人ともに最大限に高まってしまっている。

 その状態で、タクシーの運転手に、

「すいません、こっから先まで入っちゃうと一通が多いみたいなんで、ここでもいいですか?」

 と、マンションからやや遠いところで降ろされてしまったものだから、二人は無駄に体の中を熱くした上で、過剰に暑い夏の夜を歩く羽目になった。あの運転手は多分このあたりの土地勘に慣れていないくせに、最短ルートを行こうとしたのだろう。運転手の言葉に周りの景色を見れば、自分達の住むビルが確かに目前に見えてはいるが、線路が道を塞いでいる。お互いの手の動きのやり取りに夢中になり過ぎて、タクシーが間違った道に入ってゆくのに気づいていなかった。

 ビルへの正しい道のりなら分かっていたが、ここからでは確かに歩いたほうが早い。それに、はやく二人きりになってしまいたい。そう考えて二人は言葉少なにタクシーを降りた。

「夏は嫌いだ」

 克哉は、ネクタイを緩めながら、帰り道をぶっちょう面で歩いてゆく。大都会の真ん中の、著名オフィスビルの周りということもあり、こんな時間でも人通りがない訳ではない。

 それなのに、先ほどから克哉は御堂の二の腕を掴んで離さない。

 離さなくても逃げ出したりはしないし、掌の熱が服越しにうっすらと伝わり余計に暑さが増している。そういうことを分かっているだろうに、手を放そうとしないのは、克哉の理性が熱にやられ多少歯こぼれしているからだろうか。

 これだけ暑いのだから、上着を脱ぎたい、そう思ったが、それよりも一刻も早く家にたどり着きたい思いがあるから、何も言わずに克哉に引っ張られるままに歩いた。

「私も、夏は好きではないな。こう暑いと思考が低下する」

 二人にとって、はじめての夏だ。互いが夏をどう思っているか、なんてこれまで話すこともなかった。

佐伯にも自分にも、確かに夏は似合わない。

 御堂は、こもった熱を吐き出そうと深くため息をついた。

「頬が、赤いな」

 克哉が、御堂のため息に後ろを振り返る。言われて御堂が視線を上げる。

 克哉の笑みが、性感を煽る時のそれだと気付いてしまい、喉が鳴る。

「そんなに、待ちきれませんか?」

 二の腕を掴む腕をぐっと引かれる。

 距離が近づけば、より熱量が増してしまう。

「ただ、君がこうやって私の手を掴むから、暑い。それ、だけだ」

 うらみがましくそう言っても、克哉に見透かされていることくらいはわかっている。わかっていて、言い訳をする。

 ビルの扉が開く。

 ようやく、涼しい風が二人を包む。

 けれど、夜遅い時間だからクーラーの温度はそこまできつく設定されておらず、二人の熱量を鎮めるには到底足りない。

 足早に歩けば、二人分の足音が高くホールの中に響いた。

 

ようやく来たエレベーターに乗り込み、性急に自分たちのフロアのボタンを押すと、ドアを閉める。

閉まりきったのを見届ける間もなく、唇が重なる。

目の端で辛うじて、ドアが開かないか見ながら、互いの唇の甘さを味わった。

息が続かなくなっても、間に熱い吐息を一つ挟んで、また唇を重ねあう。

克哉の片方の手は、あいもかわらず御堂の二の腕を掴み、もう片方は御堂の腰をぐっと掴む。御堂の手は、克哉の広い背中をすがるように掴んでいる。

エレベーターの奥の鏡の向こうで、ひとつ、ひとつ上がってゆく表示を御堂の視線が追う。

家に着くまでのカウントダウン。

5・4・3・2・1。

ひとつひとつ明かりをともしながら上がってゆく階数表示がようやく止まるまで、延々と唇を重ね続けていた。

克哉がカードキーを取り出し、それを差し込む間すら惜しいほどに、二人から洩れる呼吸音は荒い。

ようやく開かれた扉の向こうは、未だ昼間の熱気を引きずって蒸し暑かった。

その熱に眉をしかめながら御堂は靴を脱ごうとする。

すると、克哉の手が後ろ手にドアを閉めながら、そのまま御堂の体を掴みそれを阻止した。

「な、なんだ」

 振り返れば、克哉の瞳はもう抑えきれない色が灯ってしまっている。

 御堂はもう一度、唾を飲み込んだ。

「もう、待てない」

 言葉より早く、手が御堂の足の付け根に触れる。スラックス越しのそこは、克哉の長い指が少し上下するだけですぐに形を変え始めた。足の付け根に血が集まって、どくどくと煮える血液の音が耳に響く。

「んっ……」

 タクシーの中からずっと、したくてしたくて溜まらなかったのはどちらも同じだ。それでも後少し。少しだけ足を運べば、その先にはベッドルームがある。空調を入れることもできる。汗ばんだ服を脱ぐこともできる。少しの我慢があれば、よりおおっぴらにそれを楽しむことができる。

 なのに、待てない。言われた台詞に血が沸く。

 克哉の手が、性急に御堂のスラックスを剥ぐ。そうして、下着越しに当てられたモノの固さに、御堂は克哉を止められなくなる。

「ほんとに、あついな」

 克哉は御堂を追い詰めながらも、どうにも耐えがたいのか、暑い。暑いと口にしている。

「べたべた、してる」

 暑くて汗ばんで気持ちが悪いはずの肌の上を、より熱い克哉の掌が這えば、それは快楽に変わってゆく。

「ん、う……」

 それほどまでに不快なら、はやく寝室へ行ってしまえばいいのに。

なぜわざわざ窮屈な玄関で、靴を履いたままの立ちバックなんていう強硬に及ぼうとするのか。

 疑問に思いながらも、その冷静な思考を食いつくすくらいの勢いで、右脳が、もっと触ってほしい。はやく入れてほしい。そう叫んで血を集めている。

 結局のところ御堂だって、これ以上一歩も待ちきれなかったのは同じだ。

 克哉を受け入れるために、玄関の壁に手をつく。克哉の手が、御堂の腰をひく。

 散々焦らされた果てにようやく入ってきた熱い塊に、思わず唇からは切ない声が漏れた。

「御堂さん、ドアの一枚向こうは外ですね……」

 快感を煽るように、克哉の声が御堂の耳元に響く。言いながらも、ゆっくりと抜き差しされるモノが御堂の性感を何度も何度もなぞりあげてゆく。

「誰かが、今歩いているかもしれない」

 言いながら、わざと音をたてるようにして突き上げてくる。いたずらな掌は、スーツの下へと入りこんで御堂の体を弄ってくる。

「あ……」

 外を、誰かが。その想像に、更に興奮が高まる。遅い時間だとは言っても、誰かが通る可能性はなくはない。この音が、漏れたら。この声が、聞かれたら。

 そんなのは結局本当に憂慮している訳ではなくて、セックスのスパイスの一つだと分かっているけれど、御堂は誰かが傍にいるような錯覚を感じながら、声が出ないようにと唇を噛んで、シチュエーションに酔った。

 克哉のモノが、いい所を何度も掠めては離れてゆく。暑い、暑いと場所の不満を訴えながら、焦らすような克哉の動きに御堂は焦らされて、克哉を引き留めるようにナカを狭くする。

「あつい」

 佐伯克哉の唇からそういう趣旨の言葉が漏れたのは、すでに八回目。

「そんなに暑いなら、さっさと奥の部屋に、……っん。行け、ばいい……」

 御堂孝典の唇から、吐息混じりにもっともな主張がされるのはこれがはじめて。

 場所なんてどうでもいい。暑さ寒さもどうでもいい。

 それよりも、はやく。もっと、強く。もっと、めちゃくちゃに。

 言ってしまいたい言葉を飲むこむから、余計に心の渇きが強くなる。

「何を言ってるんだ」

 御堂を突き上げながら、克哉が御堂の声に異を唱える。

「あついのは、あんた、だろう?」

 言われて、思わず後ろを振り返った。

「こんなに、熱い身体で、俺を欲しがって。中でぎゅうぎゅうと食いついてくる」

 掌が、言いながら御堂の前を擦った。

「こっちも、熱くて熱くて、今にもはちきれそうだ」

 自分の勘違いに気づいた御堂の頬が、さっと朱に染まる。

 新しく羞恥と言うエッセンスが加えらえたセックスは、酷く気持ちが良くて。

 結局二回果てた身体は、外気などとは比べ物にならないほどに火照り、熱かった。 

 

 

 

 

 

 

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