『支度』
金曜日の夜二十三時。
大きな仕事が一つ片付いたばかりだから、この土日は二日とも休むことが出来そうだ。
ただ、週末は雨になるという予報が出ていたから、特に外出の予定は立てていない。
今、バスローブ姿の御堂は一人克哉の家のソファに座ってテレビを見ている。
克哉はシャワーを浴びに行った。
もう、20分ほどになるからそろそろ上がってくるだろうと思いながら、食事の時に開けたワインを楽しんでいる。開けて三時間近くが経過したワインは、食事の際に飲んだ時よりもさらにその味を深くしている。以前ショップ店員に薦められて買った今日のワインはそこまで高いものではなかったが、外れ年のはずのヴィンテージのものなのに非常に御堂好みの味をしていた。
一度は、見るのも嫌だったはずのものをまた嗜む気になれたのは、今シャワー室にいる男との関係が変わったからだ。その事実も含めて、ゆっくりと味わいながらシャワーの音が止むのを待った。
やがて。水音は止み、しばらくして髪を乾かすドライヤーの音が聞こえてくる。克哉は普段あまりきちんと髪を乾かさない。けれど、週末の夜はいつもよりも念入りにドライヤーを当てる。それを知っているから、御堂はその音が聞こえてもワインを飲む手を止めようとはしなかった。テレビのニュースは、今日の株価の動向を伝えている。今日は日経平均にはさほど値動きはなかったようだ。あわてて売りに走る必要も買いに走る必要もなさそうだった。
「おまたせ」
バスローブを身に付けた克哉が風呂場から歩いてくる。御堂はちら、とそれを見やるとまたテレビへと目線を戻した。
「面白い特集をやっているぞ」
「ふぅん」
克哉はすぐにはソファに座らずに、そのまま奥へと歩いていくと小物入れから爪切りを取り出した。そうして小さいくず入れを左手に持つと、ようやく御堂の隣へと座る。
ぷつん。ぷつん。
一週間ぶりに、克哉が爪を切るのを見る。一本一本、やや深爪なくらいに丁寧に爪を切り、やすりで丸く磨き上げる。爪を切るのは、これからその手が御堂の体の上と中を這うからだと御堂は知っている。知っているから、いつしか目線は『面白い特集』ではなく、克哉の手の上へと落ちている。御堂の傷つけないようにと丁寧に切りそろえられる爪が、体の上を這う想像に御堂の体は熱を帯びていく。
やがて、ゆうに五分をかけて両の手の爪が切りそろえられたあと、克哉が後片付けをしようと立ち上がろうとする。
「私も、切る」
そう言って、克哉の手から爪切りを奪った。
ぷつん。ぷつん。
克哉が、御堂の手を見つめているのを感じながら、丁寧に爪を切る。克哉がそうしたように、ゆっくりと丁寧に。さほど伸びてもいない爪を、きれいに切りそろえる。
爪を切るのは、出来るだけ克哉の背を傷つけないようにするためだ。
溺れぬ様にと広く熱い背に縋りつく指を想像して、きっと今頃克哉の体躯も熱く高まっている。
克哉の舌が指を這う想像をしながら、ことさら焦らそうように爪を研ぎ、長い夜の支度をした。