きっと、こんなことを考えていると知ったら御堂は怒るだろうが、
もうずっと、自分が御堂より先に死ぬためにはどうしたらいいのか、それを考えている。
もちろん、出来る限りぎりぎりまで傍にはいたい。
自分の居なくなった世界で御堂が他の人間と出会いでもして、なんてことを考えたらそれだけで今ここにいる御堂を責めたてたい気分になってしまう。たかが妄想だと分かっていてもなお。
それでも、いつかやがて来る別離の時間。
自分より先に御堂が死ぬのだけは絶対に嫌だと、本能がそう叫んでいる。
だから、どうやったら自然と、御堂を出来る限り悲しませずに、それでいてシーツに滑り込むようにそっと死の淵を越えるにはどうしたらいいのか。それを、ずっと考えている。



「煙草を吸う量がまた増えたな」
たしなめるようにそう言われ、後ろを振り返る。御堂の手には吸殻のたまった灰皿。ざら、とダストボックスへとそれを捨てながら御堂の顔がしかめ面をした。
「仕事が煮詰まってるんだ」
「嘘をつけ」
「なんで嘘だと思う?」
「キーを打つ手が一度も止まらなかったぞ。どれ、今日の成果を見せてみろ」
そう言って、御堂の手が自分の机の端へと移る。ことり、灰皿がパソコンの脇へと置かれた。
画面を覗き込む顔を見つめていれば、煙草よりも、唇が吸いたくなる。
それでは駄目だ、と思い、至極真っ当に冷静に仕事の話をして、御堂が更なる仕事に打ち込みたくなるように誘導した。
「だから、あんたにはそっちを頼みたい」
「ふん……。言いたいことは分かった」
そう言うと、御堂が突然唇を重ねてくる。欲しい、と思ったものを与えられて、拒みきれる人間はよっぽどの宗教かぶれだ。目の前にあるものを拒みきれるほどの善行を積んだわけでもない自分はあらがえる訳もなく、御堂の口内へと舌を這わせた。何故か互いに目をつぶることもせずに合わせた唇の向こうで、御堂の目が探るようにこちらを見ている。



御堂は、企みに気付いているのか、気付かずにただ自分を心配しているのか、なんなのかは知らない。けれど、疑り深い瞳は確かで、だから他にも何かの策を考える必要があるのかも知れない。
気付けば健康系のサイトなどを目が追うようになっていた。健康になる方法を追うのではなく、何が健康には不可欠で、何を欠けば早死にできるのか、そんなことを考えて。
御堂が先に死ぬ。
御堂は自分より七年も年上で、だからこそ置いていかれる可能性は高い。そういう生命の摂理を嫌がっている訳ではない。あの黒ずくめの悪魔はともかくとして、基本的に人間は老いれば死ぬようにプログラムされていて、地球の反映のためにも、本人のためにも、いずれ等しく死は訪れる。それ自体を、どうこう言いたい訳ではない。
けれどいつか遠い果てに、御堂が先に死んだとして。
自分はそれを、ただ単に年齢的なものだと考えることなど出来るだろうか?

自分のした事は、御堂の寿命を少しでも削ったりしなかっただろうか。
自分のせいで、本当ならば先に伸びるべき道を、自分は決定的に変えて、戻れなくしてしまったのではないだろうか?
本当はあの時誓ったように、御堂を本当に解放してやるべきだったのではないだろうか?
出会わなければ。

御堂が先に死ねば、自分はきっと、その疑問に溺れてしまう。もしかすれば、出会ってから御堂が死ぬまでのすべての時間を疑ってしまうかもしれない。御堂が先に死ぬ。それは、自分にとっても、終着点だ。
だが、御堂の泣き顔を見ながら死ぬことが出来るならば、死ぬその寸前まで、自分は御堂の将来を想像することができる。自分よりも長生きをしてくれるその人が、俺から解放されて歩いていってくれる、その想像をすることが出来る。
だから、俺はあんたよりも先に死にたい。
あんたを傷つけたその分だけ。そうしてそれにプラス七年を追加して、俺は命を静かに削らなくてはならない。



「君は最近妙に偏食だな。赤ピーマンくらい食えるだろう」
「野菜は食べない。嫌いになった」
「何を言ってるんだ。前までばくばくと食べていたくせに」
……もう、食べたくなくなった。体質が変わったんだ」
「年を取って脂っこい肉が嫌いになる話は聞くが、野菜を食えなくなる人間など聞いたことはないぞ」
「おれがその第一号だったんだろう」
「妙な言い訳をするんじゃない。食え」
「嫌だ」
……そうか。せっかく私が作ったものを食えないというんだな。君は。よく分かった。私が料理をするためにかけた労力や代金、そして君のことを考えながら作った時間すべてを無駄にする気だな」
……食わせてもらおう」
噛み締めた野菜の味は悪くない。悪い、訳がない。
「ほら、食えるじゃないか」
飲み込んだ喉仏が落ちるのを見て、御堂が高慢な笑みを浮かべた。



自分の命を削る方法以上に、御堂に気付かれずにそれを達成するほうがずっと難しい。何かを変えようとすればするほど、御堂の瞳はその変化を追う。自分はよくもまあ愛されているのだな、と感じる。感じれば感じるほどに、だからこそ早くその引導を渡してもらうための保険を用意しておかなくてはならないと思う。
『自殺をすれば天国には行けなくなる』
そんな風評を信じるつもりはないが、たとえば御堂が目の前で死に行こうとしていたとして、その目の前で自分が自殺すれば御堂は嘆くだろう。俺は、御堂を嘆かせたくてこの企みを成功させようとしている訳ではない。ただただじわじわと、砂時計の端を気付かれないように少しだけ抜いて、さらさらとその砂を音も無く外に落とそうとしているだけだ。御堂の目には、ただそのともし火が消えただけのように、砂がすべて落ちきったかのように、ただ、自分の用意された運命はそこで終わりだったのだと信じ込ませる程度の死に方でなければ、御堂はきっと死を乗り越えて、残りの人生を歩いていってはくれないだろう。それでは駄目だ。それでは、ただ、自分は御堂を絶望へと追い込む、だけになる。



「人のことは言えないが、毎日毎日残業にかけくれるのはいい加減にしたらどうだ」
パソコンから顔を上げると御堂が怒っていた。
「ああ。ちょうどいいところまでやったら上がる。だからあんたは先に寝ていればいい」
……そうはいかない」
「俺の事は気にするな。もう深夜だ。あんただってさすがに眠いだろうに」
「君のほうこそ、昨日もそう言って私を先に返したじゃないか。今日は切り上げていい加減に寝たまえ」
「俺はまだ若いんです。大丈夫ですよ」
「佐伯……
御堂の声色が心配から怒りに変わったのに気付いてからしまった、と思った。
ネクタイを掴まれて怒鳴られるかと思いきや、そのままに唇が押し重なる。柔らかく溶ける唇に、思わず貪りつけば、柔らかく舌が誘い込んだ。
思わず御堂の身体をかき抱くと、二人共にその刺激で固くなったものが触れ合った。
「佐伯。ようやく『寝る』気になったか」
「あんたからこんな風に誘われたんじゃ、しょうがない」



いつか遠い未来。
お互い、よぼよぼのじじいになって。
それでも、隣に居て。
もしかしたら、かなりの年寄りになっても、ずぶとく仕事をしようとして。
そんな時に、いつの日か終わりの鐘がなって。
その鐘が、俺のために鳴ればいいのに。
鳴らすのが、あんたならいいのに。
涙が頬を濡らして、あんたに見送られながら、目を閉じる。
ああそれは、なんて幸せな未来だろう。

未来のために、出来る事を考える。





「最近、妙にスナック菓子を食っているな」
「俺はあんたと違って、若いですし、普通の一般家庭に育ちましたからね。スナックくらい食いますよ」
「そんなに美味いとも思えないがな」
そう言いながら御堂がスナック菓子の中へと手を入れようとする。
「駄目だ。これはあんたみたいな人間が食べるものじゃない」
その手を捕まえて外へと追いやる。
「はぁ? 味見をして何が悪い。私も以前はMGNの食品部門に居た。ヘルシー素材を使用した低カロリーなスナック菓子を開発したこともある。他社の新商品が気になって何が悪い」
「手が汚れるだろうが」
「意味の分からない事をいうな。それを言ったら、今君が私の手を掴んだから、君の手についた油で汚れた。もう同じ事だ」
「駄目だ」
御堂がどうしようもなくため息をついた。

「佐伯」
窘める様に名を呼ばれて、駄々っ子のように身を竦めた。
御堂には、愚かな子供の所作に見えるように。
ただ、七つ年下の、子供じみた独占欲なのだと思わせるために。
それでも御堂は目線を自分から外そうとはしない。
「残念だが、君が何を考えているかくらいはお見通しだ」
言われて、顔を上げる。
それでもあと一枚、パリ、とスナック菓子を頬張った。

「もし君が、私と一緒に死にたいと願うのならば、私が死ぬその寸前に最後の力を振り絞って君をナイフででも何でも殺してやる。だから、君がわざわざ死に急ぐことはない」

言われた、多少的外れで、しかしなんとも魅力的な訴えに、克哉は思わずにやりを笑みを浮かべた。



死に行く御堂にそっとナイフを握らせる。
あやまたず心臓を狙えるように、そっとその手に手を添えて。
そうやって二人同時に終えることが出来たならば。
あんたが俺を連れていってくれるならば。





ああそれは、きっと。
幸せな未来。

 

 



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