道の先







MGNを退職して数ヶ月がたった。
新しい会社にも、ようやく慣れては来た。
マンションも売り、携帯も解約して、過去と決別しようと必死に走った。
それでも、忘れようとすればするほど思い出される男の影。
与えられた憎悪と、
身体に覚えこまされた、それと、
耳元に囁かれた、告白。
何かにつけそれらが頭の端を過ぎり、胸がきしんだ。
思い出さないようにすればするほど頭に浮かぶ男から逃げるには、どうしたらよいだろう?
分からなくて、
浮かぶたびに目を瞑り、首を振って否定するしかなかった。
(どうかしている)
忘れろと、言った言葉がまた頭の中で響いた。
眉間によった皺は深い。

仕事帰り、また男の影に振り回されて、まっすぐ家に帰る気になれなかった。
何も思い出などないはずの新しい家も、
その静けさや空虚が、逆にいないことを感じさせてしまう。
(ワインでも飲んで、忘れてしまおうか)
そう思い、大学の頃よく行っていたワインバーへとひさしぶりに足を運んだ。
社会人になってからも数度仲間といったが、数年前から行かなくなっていた。
共に行く相手が、いなくなってから。
けれど、そんな過去すらももう自分に取っては遠すぎて、リアリティーがない。
たった3ヶ月の間に、自分の過去と今には、何かどうしても越えられない壁が出来てしまった。
もう、どうだっていい。
何もかもが。

店のドアを開けると、マスターが御堂を見つけ笑顔を浮かべた。
「ひさしぶりですね。御堂さん」
「ああ、ご無沙汰していて、すいません」
挨拶を交わし、バーカウンターの右端に座る。
そして、マスターのすすめるワインを飲みながら、当たり障りない会話を楽しんだ。
ひさしぶりの時間。
思い出すのは学生時代の思い出。
考えないですむ幸せに御堂の心はしばし和らいだ。

「ひさしぶり。マスター」
ドアを開けて入ってくる男の声に御堂は振り向いた。
そこにいたのは、旧知の男。
大きく目を見開いて固まった。
「あ・・・」
向こうも自分に気付いたらしい。
「・・・ひさしぶりだな。御堂」
トーンを落とした声。
そこにいたのは、昔の同僚、本城だった。
「・・・ひさしぶり」
少し、顔がこわばったのを、向こうも気付いただろうか。
「本城さん、ひさしぶりですね。
そうか、御堂さんと待ち合わせですね?こちらへどうぞ」
気を利かせたらしいマスターが御堂の隣へと誘導する。
「そういう訳でもないんだが・・・。隣、いいか?御堂」
頭をかきながら、隣へとやってくる。
「・・・ああ」
特に拒む理由も見当たらなかったから頷いた。

「元気にしていたか?」
本城が尋ねた。おしぼりで、やけに念入りに手をふくくせは以前と変わりない。
「ああ。それなりに」
あまり、多くは語らない。
「お前こそ、元気だったのか」
「ああ。MGNをやめたあと、結局家業を継ぐことになってな。今は実家に戻ってるんだ」
「実家・・・福島だったか」
「そう。ひさしぶりに戻ると寒いな。雪に埋もれてるよ」
「そう・・・か」
「向こうで、相手見つけてな。結婚したんだ」
そういうと左手をひらひらしてみせた。
「ほう。それはめでたいな」
自分に負けず劣らずのエリート志向だったはずの本城が実家で家業をついで
結婚もして・・・変わりようにかなり驚いた。
「実はできちゃった婚でな。秋には子供も生まれるんだ」
にい、と笑う顔。男の癖にえくぼができるところも相変わらずだ。
学生自分はよくからかったものだ。
「・・・幸せなんだな」
その真っ当な幸せが、少し眩しくて御堂は目をしかめた。
以前はそんなあたり一辺倒な幸せなど、自分には関係のない興味のない話だと思ったが、
今は何故だか自分には手の届かない、高い高い場所に思えた。

「お前こそ最近どうしている。MGNの仲間は元気か?
川出さんとか、専務とか、元気にしてるのか?」
問いかけてくる内容は予想はしていた。
言いたい話でもないが、この男にはきちんと言っておくべきかもしれない。
そう思って口を開いた。
「・・・MGNは辞めたんだ。まだ、数ヶ月前の話だが。今は別の会社に世話になっている」
「そう・・・だったのか」
御堂の暗い表情に何かを察したのか、本城の声のトーンも低い。
「プロトファイバーってドリンク、あれお前が作ったらしいじゃないか。
すげえ売れてるって評判になってる。
あれだけ売れたんだからまた出世したかと思ったが、辞めてたのか・・・。引き抜きか?」
「いや・・・そうじゃない」
否定だけして、それ以上を語らない御堂に、本城はそれ以上は聞いてこなかった。
「そう・・・か」
言葉を濁す本城を見て、御堂は鼻で笑った。
「お前から奪い取ってまで得た地位だったのに、結局は私も去ることになる、なんてな」
「奪うって・・・」
「お前があのまま部長になっていたほうが、よかったのかもしれないな」
自嘲の言葉は、酒の勢いなのか止まらない。
「結局私には・・・向いてなかったって、ことだ」
そういうと、ワインを口に含み、目を閉じた。
「御堂・・・。何があった?」
本城が、まっすぐに自分を見て、聞いてくる。
「・・・すまないが、言いたくない」
そう言ってまた唇の端で笑う。
頭に浮かぶ男の影に、首を振った。
「そうか」
余り褒められた話ではないのだろう。
そう思って本城はそれ以上の追求をやめた。
「だが、御堂。俺はお前に追い落とされたとは思っていないからな。
あれは俺のポカミスだ。
お前は部長になるに足る人材だった。
別にお前が部長になったから会社を去った訳じゃない。
ただ、自分のやらかした失態だとか、周りの見る目が嫌になって逃げただけだ。
お前のせいじゃない」
「・・・」
その言葉に、御堂はじっと黙ってワイングラスを揺らしている。
「御堂、お前、かわったな」
そう言われて顔を上げた。
「今までのお前は完璧無敵な自信過剰な俺様タイプだと思っていたが、
物腰が柔らかくなった。
以前のお前なら、でき婚した、なんて言ったら『とんだヘマをしたな』とかなんとか
あざ笑ってくるところだろうに。
幸せ・・・なんて台詞がお前から出るとは思わなかった」
「ふっ、幸せって言ったくらいで驚かれるとは私もたいがいだな」
「御堂。お前変わったよ。
前から腹立つくらい男前だったが、なんだか影とか深みが増して、
なんだか余計に男前になったな」
「・・・そんなことないさ」
「ほら。以前のお前なら『当然だろう』とかなんとかいって、当たり前のように賛辞を受けてたぞ。
なんだ、その否定は。お前らしくないな」
「お前のその俺のイメージは何なんだ」
「完璧超人。女王様」
「・・・なんだそれは」
「だが、今のお前は悪くないな。つっけんどんとしたところがなくなった」
「そう、か?」
余り自分では自覚していなかったから、実感が湧かない。
過去の自分を思い出そうとするが、浮かぶはどうしても、思い出したくないはずの男のこと。
思わずため息が漏れる。
「どうした?」
聞かれてはじめて、我に返った。
「いや、少し考え事をしていただけだ」
そう言って頭を振る。
そんな御堂を本城はまじまじと見て、
「お前、もしかして惚れた女でもできたのか?」
そんな突拍子もないことを聞いてきた。
「は?」
「いや、なんか悩んでるみたいだったから。
お前がそんなに考え込むなんてめったにないだろう。
気になる女でもいるのかと思って」
「・・・そんなんじゃない」
好き、という言葉に、また思い出す。
(好きだって、はやく気付けば・・・)
聞こえる声に胸がきしむ。
ワインを燻らしながら、また考えはじめてしまう御堂を、興味深そうな顔で本城が見た。
「何があったか知らないが、そんなに考え込むな。
惚れた女がいるなら、考え込んだって何も解決しないぞ。
自分の気持ちを伝えねえと、何にもはじまらんだろう。
お前、いっつも向こうから告られるばっかりで自分から執着したことなんかなかったから
案外惚れたら弱いのかもな。
まあ、今の人間くさいお前は悪くないよ。絶対うまくいくって」
そう言って背中をばしばしと叩かれた。
「惚れてなんかないって言っただろう」
思わず声をあげて手を払った。
「・・・悪い」
本城が声を潜める。
「・・・こっちこそ、すまない。どうか、してるな。本当に」
そういうと、額を押さえた。
「本当にすまない。久しぶりに飲んだから、酔ったのかもしれないな」
「お前・・・本当に、変わったな」
そう本城が言って、ぐいっとワインをあおった。
「今のお前は面白いよ。ほんとに、悪くねえ。
あの頃、お前の本音をこんな風に聞けてたら、俺もまだMGNに居たのかもしれないな」
「・・・やめたこと、後悔してるか?」
「家業はたいして面白くねえが、後悔はしてない。
やめてなきゃ、今の嫁さんも、生まれてくる子供もいないからな。
別れた道をまたあと戻りすることはできない。
それくらいは分かってる。
別れた道をまた一つにしようと思うならな、
よっぽどの力踏ん張って、自分がまた走ってくしかないんだ。
でも、俺にはもうあっちに守りたいものがあるからな。
それは出来ない。
でも、今のお前とMGNでまたやりあえたらきっと面白い仕事ができただろう、とは思うよ。
お前は一線を退いたりするな。
俺が捨てた道先に進んでいけるのはお前だけだって信じてる。
舞台がMGNじゃなくたって、お前なら高みへと進んでいけるさ。
頑張れよ」
「・・・ああ。有難う」
いつもならじっくりと味わうワインを、御堂もまたぐっと飲み干した。



別れた道。
それは手を伸ばせば届くところにあって、
けれど、手を伸ばしてはならない道。
それでもまた今日のように、交わることが、あるのだろうか?
また、違った答えを探り出せたりするのだろうか。



自分はその時、
なんて言葉をかけるのだろう。

お前に。














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