「佐伯、今日の夜はどうする?」
社長室での仕事の打ち合わせが一息ついたあと、御堂がそう、切り出した。
「ん?」
メールをチェックしていた克哉が顔をあげた。
「明日、休みだろう」
「・・・ああ、そうか祝日か」
そういいながら、メールソフトについているスケジュールを確認する。
「すまない。明日が休みだということをすっかり失念していたから
本多と飲む約束をしてしまっている」
一瞬、本多の名前を出したとき、御堂は一瞬眉をしかめた。
「・・・分かった。今日は家に帰る」
御堂は、目を逸らして資料を片付けながらそう言った。
「泊まっていけばいいのに。
7時に集合だから、10時過ぎには帰るようにする」
その言葉に、一瞬考えるようなそぶりを見せたが、
「いや。今日は帰る。やることがたまっているからな」
そう言って、目もあわさぬまま断った。
「そうか?じゃあ、明日はどうする?せっかくの休みだからどこかいくか」
「・・・考えておく」



夜6時前、克哉は先に会社を出て行った。
まだ雑務が残っているからと行って、御堂はそれを見送った。



(行った、か)
その後姿を見て、ため息をつく。

(予約をキャンセルしておかなくては、な)
数日前、懇意にしているワインバーから、いいワインが入ったと連絡があった。
金曜の夜はお互いのためにあけておく、それが暗黙の了解となっていたから、
克哉と会うものだとばかり思って、予約を入れた。
今日になるまで話をふらなかった自分も悪いが、
・・・また本多か。
そう思うのもまた事実だ。

ぽっかりあいた時間、
佐伯の部屋で一人待つなど、
したくなかった。

(いつ帰ってくるか分からないのを待っているなど、性に合わない)



彼らが行くであろう、安っぽい居酒屋のタバコや酒の匂いを嗅ぐのも嫌だった。
自分がめったに行くことのない、そういう場所の匂い。
共に居たのが本多であれば、尚更。

(あの男は嫌だ)

自分の知らない過去を共有していること。
「克哉」と呼ぶその馴れ馴れしい響き。
いかにも体育会系な大きな声。
暑苦しい前向きさ。
どれも、自分を苛立たせる。



(10時には帰る)



自分がさっきからずっと
時計をにらみつけていることに、御堂は気付かない。







気付けば、自分のソファでバスローブ姿で寝ていた。
(ああ、眠ってしまったか)
空調がきいているとはいえ、
風呂上りにそのまま寝てしまったから、身体が随分と冷えている。
(・・・寒い)
もぞもぞと身体を動かした。
変な体勢でねたからか、身体が少し痛い。
テーブルの上にあった折りたたみ携帯を手に取った。
ひらくと、画面が明るくひらく。
深夜、1時。
克哉からの連絡は、ない。
眉をひそめて、画面を見つめていた。
(まだ飲んでいるのか?)
携帯をぱたんと閉じると、置いたままになっていたワイングラスを片付けて、寝室へと向かった。

(佐伯・・・)
苦い思いが広がっていく。
ただ、元同僚とたまたま飲んだだけだ。
当たり前のことのはずなのに、胸の中のわだかまりが消えない。
約束していたわけでもないのに
予定がふいになったくらいで怒るなど、
年端のいかない子供でもあるまいし、
そう思って自嘲するが、心がざわめくのを止められない。
まるで嫉妬深い女みたいだ。
そう思うと、余計に苦々しい気持ちになる。

思えば自分は佐伯に振り回されてばかりだ。
あの男に出会ってからと言うもの、
感情は佐伯の動きに合わせて、哀れなほどに揺さぶられている。
出会いからして酷かったが、
付き合いはじめてからも、
佐伯のささいな行動一つに、いちいち感情がさかなでられ揺れ動かされ、
安心させられたかと思えば、またこうして苦々しい想いを抱えることになる。
佐伯がそういう奴だと、分かってはいたが。

自分にこんなみっともない感情があるなど、佐伯に会うまでは知りもしなかった。
知りたくもなかった思いが、
どんどん湧いてきては、胸を締め付ける。


文句の一つでも言ってやりたいが、
「そんなに辛いなら」と別れを切り出される気がして、
何も言えなくなる。





(会いたい)
本当は、共に、居たかっただけ。



だが、
こんな想いをかかえて、
どんな顔をして会えばいい?



首を振って、ベッドへと向かったが、
しばらく眠れそうにないことも分かっていた。








携帯のなる音に目が覚めた。
目が覚めると、すでにカーテンからは朝の光が漏れていた。
「あ・・・」
喉が痛い。
昨日身体を冷やしたせいか、本格的に風邪を引いたようだ。
電話に出る前に携帯の音が、途切れた。
着信履歴には、佐伯克哉の名前が残されていた。
(ようやくかけてきたか・・・)
もう、朝10時を回っていた。
目覚ましの音に気付かなかったらしい。
発信者の名前を、寝ぼけた頭でぼおっと見ていたら、また電話が鳴った。
「・・・もしもし。御堂だ」
「おはよう。今、大丈夫か」
「ああ。問題ない」
「それにしては、電話に出るのが遅かったな」
「すまない。寝ていた」
「めずらしいな」
「昨日、遅くまで起きていたからな」
「何かあったか?」
「・・・なんでもない」
「ならいいが。
今日、どうする?どこか行きたいところでもあるか?それともうちに来る?」
「・・・」
「昨日本多からうまい小料理屋の話を聞いた。行ってみないか」

(会いたい)

だが。

「どうした?」
「今日は・・・悪いがパスだ。君には会えない」
「・・・何故?」
「昨日風呂上りにうっかりソファで寝てしまってな。
どうも風邪を引いたらしい。
今日はおとなしく寝ていることにする。
明日は大事な商談があるからな、君にうつしてはいけないだろう」



「・・・分かった」



お大事に。
そういって、電話が切れた。



(何が、分かった、だ)


薬を飲まなくては、と思い、とりあえず何か腹をみたそうと冷蔵庫へと向かった。
中にはミネラルウォーターしか入っていない。
(最近佐伯の家で食べてばかりだったからな・・・)
克哉と共に食事をすることが多かったから、
たまに一人の日も、昔からのいきつけの店に顔を出すなどしていて
自分の家で一人で何か食べる、といったことがあまりなかった。
とりあえずミネラルウォーターを飲んだ。
冷たい水が染みていく。
まるで痛みのように身体に広がっていく。
少し、咳き込んだ。
(最低だ・・・)
風邪なんか引いている場合ではないのに。



結局何も食べず、薬を無理やり飲んでまたベッドにもぐりこんだ。
とりあえず、まずは風邪を治すことだ。
体調の不良は心までかき乱す。
こんな状態でいくら考えていても、よい方向には向かわない。
そう気持ちを切り替えて、目を閉じた。
体力を失い疲れた身体は、やがてまどろみの中に落ちた。





ぴんぽーん。
チャイムの音で目が覚めた。立て続けに数度鳴る。
「・・・ん」
寝ぼけた頭で電話を取る。
「はい」
ライトは、来客が一階のロビーではなく、扉の目の前であることを示していた。
「佐伯だ」
「・・・佐伯?どうした」
「あけろ」
「・・・ああ」
そう言って、バスローブ姿で玄関へと出た。
少し迷ったが、覚悟を決めて鍵をあける。
「おはよう」
佐伯の手には、紙袋があった。
「風邪、大丈夫か。
どうせろくに何も食べてないだろうと思って、いろいろ買ってきた。
とりあえず、雑炊でも作るから食べて暖かくして寝ろ。
それでも治らないようなら、医者まで送ってやる」
そういうと、家主の声もまたずずけずけと家に上がりこんだ。
そのままキッチンへ向かうと、紙袋の中身をいろいろと取り出しているようだ。
「佐伯・・・どうして・・・?」
背中に声をかける。
「何が?」
「今日は会わないと、いった」
会いたかったが、会いたくなかった。

思いがけず見舞いに来てくれたことが嬉しくて、
だが、どう反応していいか、分からなかった。
「風邪をうつすのが心配なら、おとなしくマスクでもしていろ」
てきぱきと準備をしながら、ふりかえりもせずに克哉が言う。
「・・・」
言う言葉をなくし、なんとなく沈黙が訪れた。
ソファに、座り込んで、じっと克哉を見ていた。
頭が、痛い。
あまり症状はよくなっていないようだ。
克哉が物音を立てて何かしているのを、ぼおっと聞いていた。
一度沈黙がおとずれてしまうと、
何を話せばいいのか、思いつかない。
いつもならば居心地のよい沈黙も、
一度意識してしまうとじれったいほどの空白に変わる。

「佐伯」
とりあえず、名を呼んでみた。
「なんだ?」
聞き返されて、何も言う言葉がないのに気付く。
「・・・いや、ありがとう」
「ああ。どういたしまして」
そういうと、また二人の間に沈黙が流れる。
(佐伯は何も感じていないんだろうか)
あいつは、自分勝手なやつだから、こんな沈黙一つには何も思わないのかもしれない。
そんなことを考えた。
苦しくなったり、嬉しくなったり、心をかき乱されているのは、自分だけだろうか。
てきぱきと動いている背中に、そう問いかけた。



「できたぞ」
そういって克哉が茶碗に入った雑炊を持ってきた。
湯気がたっていて、美味しそうだ。
隣にカップを持っていた。
「これは?」
「ゆず茶。温まるから飲め」
「・・・君には似合わない気遣いだな」
そういって鼻で笑うとむっとした表情をした。
「・・・ありがとう」
気遣いへの感謝をそっと口にして、暖かいカップを手に取った。
克哉はまた席を立つと、ボウルに入った温サラダとパンを二つ持ってきた。
「それは?」
「これは俺の昼飯だ。サラダはあんたも食べろ」
ボウルを御堂のほうへと押しやった。
「箸がないが」
「ちっ、仕方ないな。取ってきてやる」
再度、キッチンへと入っていく。
後姿を目で追いながら、ゆず茶を一口口に含んだ。
あまずっぱい暖かさが広がり、身に染みていく。
「今日はやけに優しいな」
箸を自分の前に置いた克哉に、そう声をかけた。
「病人相手だからな。精一杯の優しさだ。めったにないから感謝しろ」
そういって、反対側のソファに座るとパンにかぶりつく。
御堂も、雑炊を食べはじめた。
思いがけず空腹だったようで、その暖かい優しい味が染みていった。
穏やかな時間が流れる。
御堂はしばらく、その優しさに身をゆだねることにした。
本当に、苛立たされたと思えばこうして、安らぎをくれたりもする。
(変な男だ・・・)
変なのは必要以上に心を動かしている自分、かもしれないが。



食事も終わり、克哉が買ってきた薬も飲んで
(症状が分からないからといって、3種類も買ってきた)一息ついた。
「・・・御堂さん」
「何だ?」
克哉の暗いトーンの声に、疑問を持った。
「何か、あったか?」
そう、聞いてくる。
「何か?」
何を聞かれているのか分からない。
「御堂さん、昨日から何か変ですよ。何か悩みでもあるんじゃないですか」
見透かされたような気がして、どきりとした。
「何もない」
そう返すが、その反応を克哉が気付かないはずがない。
「何もない、じゃないでしょう。何かいいたげな顔を昨日からずっとしておいて。
どうしたんだ」
「・・・」
「何か文句でもあるなら、言え」
「・・・なんでもない」

何を言えというのか。
してもいない約束を反故にされた気がしてイライラしたと?
本多なんかと会うな、と?
夜、電話してこいと?
そんなこと、いえるはずがない。

「何もないのに、そんな表情をするのか」
そういって、頬へと手が触れる。
克哉の顔に、疑るような、それでいて切ないような表情が浮かぶ。
「俺には何も言えないか・・・。
やはり、俺のせいか?」
はっとして、御堂はその手をつかんだ。
「違う。そうじゃない」
「だったらどうして?」
「・・・昨日は君と行こうと思ってワインバーを予約していた。
それを、言い出しそこねた。
・・・それだけだ」
しょうがなく、事実を告げる。
「・・・そうか。それは悪かったな」
「いや、いい。こちらも君に何も言わず勝手に予約していただけだ。
お前が悪い訳じゃない」
「先にそう言ってくれればよかったのに。
別に本多との予定なんかどうでもいいし、
本多もあんたに会いたがってたからな、三人で行っても良かった」
またもや本多の名前が挙がったことに、かっとなった。
「また本多か」
つい、悪態が口をついて出た。
思わず出た意地悪いその言葉に、自分ではっとなって口をつぐむ。
克哉がきょとんとした顔で御堂を見た。
「何を言ってるんだ?」
何も考えて居なさそうな質問にまたかっとなる。
「あの男はなんなんだ。克哉克哉って煩い・・・。
ああいう煩い男は苦手なんだ」
自分の苛立ちを、本多のせいにした。
「もしかして、妬いてるのか?」
克哉が、嬉しそうににやにやしだした。
「違う」
きっぱりと否定するがにやにやは止まらない。
「なんだ。御堂さん、本多に妬いていたのか。何も心配するようなことなんてないのに」
「違う。別に・・・嫉妬ではない。あいつ、やたらと君にからんでくるだろう。
克哉克哉って、妙にスキンシップも多い。
たかが元同僚ってだけで、ああも慣れ慣れしいのはどうかと思うが。
お前、狙われてるんじゃないのか」
「本多は大学の同期なんだ」
「・・・そうなのか?」
「別に同じ部活だったことがあっただけで、別に一緒にキクチに入った訳でもないが、
付き合いが長いからな。今でもこうして飲むこともあるさ」
「そうか・・・」
一瞬納得しそうになったが
「まあ、少なくとも昔は向こうはその気だったみたいだがな」
そう言われて咳き込んだ。
眼鏡をかける前の、おどおどした克哉に対する本多の態度を思い出して、克哉はほくそ笑んだ。
「なっ・・・。君は、分かってて毎回あいつと飲んでるのか」
「ああ。別にたいしたことじゃないだろう」
「君は・・・」
「なんだ、御堂さん。あんた、俺があいつに抱かれて善がり狂うとでも?」
一瞬頭が想像しそうになるが、どう考えても思いつかない。
「・・・ないな」
「じゃあ、俺があの大男を抱いているシーンでも想像したか」
「・・・想像させるな気持ち悪い」
「だろう。どうひっくり返ってもあり得ない」
「そんなことを言ったら、私とお前だって、普通に考えたらあり得ないだろう」
「何を言ってる。俺に抱かれて猥らに悶えるあんたの姿を見たら、
誰だってお似合いのカップルだと思うだろうよ」
「・・・言うな」
「あいつと飲んでるのは、昔の同僚だから、というのと
キクチやMGNの情報を得られるから、その二つでしかない。
わざわざ嫉妬するほどのことは、何もない」
「・・・嫉妬じゃないと言っている」
そういいながらも、ほっとした表情を浮かべている自分に気付いていないようだ。

御堂はため息をつくと、ソファに深く深く座りなおした。
「君は変な奴だ」
克哉をにらみつけると、冷めたゆず茶の残りを口に含んだ。
「君と付き合っていると、振り回されて息つく暇もない。正直、疲れる」
思わず愚痴のように本音が口をついて出た。
「・・・俺と居るのが、そんなに辛いか」
克哉のトーンの落ちた声に、はっと顔を上げる。
「あっ・・・」
「そうかもな。今も昔も、あんたを苦しめてばかり・・・なのかもしれないな」
「佐伯・・・」
自分の不用意な一言が、また克哉の後悔するような表情を生んでしまったことに気付いてはっとなる。
いつだってそうだ。
いつもは傲慢に人を散々振り回すくせに、
突然こうやって過去を振り返り、自嘲する。
その顔を見ると、またあの日のように自分のことを気遣うふりをして
置いていかれるのではないかと思い、ぞっとする。
お前が望まないのならば、自分はいつでも去っていく。
そういわれるような気がして、怖くなる。

「あんたを傷つけて、壊して、今もそうやって辛い思いをさせて・・・」
克哉が反対側のソファから、ゆっくりと立ち上がった。
「佐伯?」
思わず自分も立ち上がろうとするが、克哉が目の前に立った。
「・・・だが、
それでもあんたを手放す気は、さらさらない」
そういうと、肩を強く抱きしめた。
「・・・どこにもいくな御堂」
「さえき・・・」
耳元で、囁く。
「俺を、拒むな。拒まないで・・・くれ」
悲痛な、告白。



「・・・だったら。不安にさせるな」
そう言って、肩を抱く男の背中を、優しく撫でた。









風邪をなおすため、とまたベッドで眠りについた御堂の顔を
克哉は傍の椅子に座り、じっと見ていた。
かすかな寝息だけが、部屋に響く。

(あんたは、俺がどれだけあんたのことでみっともなく一喜一憂しているか、
知らないんだろうな)

昨日もそう。
結局御堂が気になって、本多とは1次会だけで別れた。
その後電話をしようとしたが、行きがけに見た御堂の翳った顔が気になって
電話をするのが怖くなった。
今日も会うことを拒まれて、どれほどあせったか。
御堂がいつかまた自分を否定したら、そんな気がして、本当はいつだって不安だ。



自分には、傍にいる権利などないのかもしれない。
そう思いながらも。

けれど泣いても騒いでも否定されても、
それでもきっと、手放せないと分かるから
また否定されたら、閉じ込めてでも手放したくない。
醜い独占欲が蠢くのを、自分はきっと止められないから。
だから自分は祈るしかない。



どこにもいくな、と。














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