胸のうちに眠るもの

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 あからさまに怒りを滲ませた御堂の背中を前にして、克哉はやや遅れて通りを歩いていた。
 暦上は秋とはいえ、まだまだ昼間の日差しはきつい。ビル群の谷間は、エアコンの室外機が吐き出す熱気や日差しの照り返しもあり夏のように暑かった。スーツの上着は脱ぎ捨てて手に持ったまま早歩きで御堂の後を追った。額にうっすらと浮かんだ汗を拭い、目を細めて御堂のほうを見るが、その背に滲む怒りはまだまだ取れそうにない。
 こんな時にもスーツをしっかりと着こなした御堂は、足早にビル群を抜けて、さっそうと歩いて行く。その姿はこの街に映えて、背の高さもあいまって周りの人が皆振り返るが、御堂自身はそんな周りの目を気にすることもなくいかり肩のまま街を闊歩していく。克哉は唇に苦笑を浮かべつつも、先ほどまでの御堂の痴態を思い返してはにやにやとほくそ笑んだ。
 それは三十分前までの話。新規の顧客を獲得すべく一ヶ月近く準備期間をかけて大手企業へ売り込みをかけていたのだが、その労力が実って今日無事契約を取り付けた。歓びを分かち合いがてら帰りに寄ったレストランで少し遅いランチを取った。最近忙しすぎてろくに体を重ねることが出来ていなかったから、デザートとばかりにトイレに連れ込み無理やりコトに及んだら、最中はイヤだと拒むようなことを言いつつイイ声で啼いたくせに、終わった途端にあの態度だ。平手打ちはどうにかかわすことが出来たが、燃え上がる怒りまではかわすことが出来なかった。
 まあ、甘い言葉でも並べてやれば、直にまた機嫌をなおすだろう。そう思い、克哉はさほど心配はしていなかった。
「御堂さん。いい加減機嫌を直して下さいよ。せっかく契約が成立したんだ。少しくらい羽目を外したからってそんなに怒らなくてもいいだろう」
 先を行く背中に向けて声をかける。かけられた声に振り返った御堂の額には深い皺が刻まれていた。克哉を睨みつけると、どすをきかせた低い声が自分へ飛んできた。
「……承諾を取ってからするといったのは、どこのどいつだ」
 言い捨ててまた前を向いて、肩を怒らせたまま歩き出す。
「散々善がったくせに」
 艶かしく声を抑えて身体を震わせる御堂を頭の奥に浮かべながら言ってやれば、振り返りもせず、更に御堂の足音は高く、早足になっていった。距離をあけられて、あわててこちらも急ぎ足で御堂を追う。どうやら、今の言葉で怒りが更に増してしまったようだ。日差しへ向けて歩く御堂の影が、黒く長く伸びている。
 克哉はため息をついて、立ち止まった。汗で額に張り付いた髪をかきあげる。
「なあ、御堂さん。機嫌をなおしてくれないか。今日は、泊まっていけるんだろう?」
 明日は土曜日。せっかく御堂を一日堪能出来るというのに、こんなことでへそを曲げられて家に帰られたら元も子もない。克哉は克哉なりに、御堂と仕事の成果を肴にひさしぶりに一日中共に居られることを楽しみにしていた。その報酬のためにこれまでの一か月を頑張ったといっても過言ではない。それを、たった一度の性急な過ちだけでふいにしてしまうのはあまりにも惜しい。御堂がそこまで嫌だったと言うならばきちんとした謝罪をして、さっさとつまらないすれ違いは終わらせてしまったほうがいい。そう考えて、御堂の手を引こうとかけ足で御堂へと寄った。
「御堂さん」
 猫なで声でそういうと、ようやく御堂が振り返る。まだ何か言おうとしている御堂の手を掴もうとして、手を伸ばす。
 その時、
「危ない!」
 御堂の目が、丸く見開かれるのを克哉は見た。御堂のあげた大声に、思わず立ち止まる。何があったか、と後ろを振り返ろうとした途端、御堂の手が自分へと伸び、気付けば思い切り横へと突き飛ばされていた。
「な!?」
 体勢をくずし、身を起こそうとするとそこには赤い軽自動車が突っ込んできていた。
 車の中には、驚愕する若い女性の顔。
 どん。やけに大きく響く音。
 そして、御堂の体が宙に浮くのが、やけにスローモーションで、見えた。
 見えて、そして。
 地面の上で、二度跳ねた。

「御堂―――――――――――――――――!」
 
 絶叫するが、御堂は動かない。瞳が、一瞬こちらを見た。こちらを見て、そうして自分ではない何かを見た様な気がした。そうしてそのまま、漆黒の瞳が閉じられる。赤い軽は御堂を跳ねた後も大きなスリップ音をさせながら数メートル先まで進み、そうして克哉のすぐ傍を通ってフェンスに追突してようやく止まった。
 御堂の頭から、じわじわと赤い血がアスファルトへと広がっていく。克哉が叫びながら倒れた御堂の元へと駆け寄るが、手を不自然な形に折り曲げたまま、御堂はぴくりとも動かなかった。


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